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09飲めない人 飲める人
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楽しい酒
「酒」と題した東京大学公開講座の一書のなかに、「中国の詩人と酒」と名づけて前野直彬教授がその冒頭に次のように書いている。
「中国の人は大体、酒をほどほどに飲むのがじょうずである。酔っぱらって肩を組んで歌を歌ったり、どなったりして歩く風景は、中国では見られない。……これは決して現在の中国の社会体制のみに起因するのではない。……縄のれんのような飲みやに行くと、止まり木があって、中国人がただ一人座ってひたすらにじっと飲んでいる。顔がだんだん赤くなり、蚊が血をいっぱい吸ったょうにまっかになるまで、カウンターにじっとほおづえをつき、静かに飲む。そして適当なところでパッと切り上げて帰る。隣に座った見も知らぬ人と意気投合して、飲んで騒いでということはない。中国では昔から、酒はほどほどに飲むべきだという、一種の精神的な規制が作用していた。論語に書いてある。酒無量、不及乱と。」また、「中国では、少なくとも男の場合は酒を飲むのが当然であり、逆に酒が飲めないのは、極端に言えば男子として欠陥があるとする通念があった。」以下は省略する。飲んべえが喜びそうな文句である。が、その底に潜む飲酒の在り方を見逃してはならない。
ともあれ、晩唐の詩人、杜牧の詩「清明」を掲げて、その酒魂を鑑賞しよう。
清明の時節 雨紛紛
路上行人 魂を断たんとす
借問す酒家何れの処にか有る
牧童遥かに指す杏花の村
(注)清明とは冬至から百五日を経た時。
「酒は百薬の長」とは誰でも知っている言葉であるが、その効用をあげてみると、まず嗜好品として気軽に楽しむものがある。ついで、冠婚葬祭に欠かせない儀式用があり、宗教とも密接に結びついている。「お神酒」が好例である。そして酒の最も大切なことは、アルコールの薬理作用に基づく一連の精神的効果である。
アルコールの本質は向精神薬として、もっとも高次な脳の精神作用を麻痺させることである。知性、判断、教養、人格という精神の座の有する抑制が解除され、感情が行動を支配するようになる。内在する心理が表面に現れ、本能が衝動化してくる。ほどよい酪酊は陶酔となり幾多の文学や美術を生んだ。緻密と繊細、配慮はうすれるので、高尚さは低下するが、本音が出ることによりストレスは解消される。酒による共通の昂揚と仲間意識が、「社会の潤滑油」と言われる
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