断酒道場 せりがや病院


07断酒への道

断酒道場 せりがや病院

特別保護室
 神奈川県立せりがや病院は、精神分裂病や噪うつ病等の精神病一般を対象とするのではなく、専ら薬物依存症の診療を司る専門施設である。当然、麻薬、シンナー、覚醒剤等も治療の範疇に入るが、収容患者のほとんどはアルコール依存症である。私が入院した当時約五十名が在院していた。
 平成元年八月二十三日の朝、私は妻にしたがってせりがやへ向かった。途中でタクシーを止めさせ、今生の名残とばかりワンカップを求めて一気に呷った。往生際の悪い男である。妻も運転手も苦笑していた。
 この日、主治医の斎藤先生は折悪しく不在で、代って金子先生が外来を担当していた。型の如く診察を受け入院の運びとなった。これから私の予想し得なかった事態が展開する。
 私は妻と切り離され、「どうぞ、こちらへ」と案内する看護婦の後について、外来診察室から病棟への入口を抜け、狭くて長い廊下を奥へ進みさらにもう一つ入口を潜って、とある一室にたどり着いた。そこが私の病室であった。狭い四畳半の板の間の部屋、べッドならぬ布団が一組敷かれてあるだけで、机も座布団も食器棚も洋服掛けもなにもない。一隅に水洗便所があるが、扉はなく丸見えである。窓には鉄格子が嵌められ、入口の扉も鉄製できちんと鍵が掛かる。恐ろしく殺風景だ。言うまでもなく、これは警察署の留置場である。拘束し脱走を防止する以外には、一切の美的配慮は無駄と言わんばかりに部屋全体が開き直っていた。いままで入院といえばどこの病院でも個室であり、それなりに壁には額が飾られ、窓には柔らかい色彩のカーテンが揺れ、出入りは自由で廊下の散策もできる。テレビや電話付きのこともあった。この予期せぬ扱いに私は思わずカッとなった。だが、努めて平静を装って私は尋ねた。「どうしてこんな所に入れるの?」とわれながら穏やかな抗議であった。しかしこの種に慣れた看護婦は少しも動じない。「たった二晩の辛抱ですよ。」という看護婦の言葉には、ここが貴方の住処なのです、との無言の宣告がその態度に現れていた。「眼鏡と時計はお預りします。」否応もなく二つを没収して、さっさと部屋を出ていった。ガチンと扉の鍵の締まる音がした。
 この部屋を特別保護室という。アルコール依存症といわず、薬物依存の治療開始に当たって、三日二晩の特別保護室への収容隔離は、患者をまず断酒または禁薬の状態に置いてその離脱症状(禁断症または退薬症候群)を含めて患者の精神及び身体の状態を漏らさず観察、把握し、それに対応する診療方針を定めるために採られる必要かつ当然の措置であって、テレビカメラによる監視装置が、悟られぬように設置されてあることをも後日知った。
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