C・Tさん 断酒生活者の妻


Ⅲ(00)

C・Tさん 断酒生活者の妻

私は自分はどうしたいのかをまず考えるように努力しました。主人がどうして欲しいかではなく、私はどうしたいのか。
 私たち夫婦が平成10年7月の県本部例会をはじめて訪れ、入会させていただいてから、2年が経とうとしています。入会してからの1年間は、なかなかお酒が止まらず、初段をいただく頃は病院に入院中でした。その1年目を迎える前が、主人にとっても私達にとっても一番苦しい時期でした。当時は嵐の中にいたために語れなかった自分の気持ちを、もう一度振り返りながら書いてみたいと思います。
 平成10年9月、入会して2か月頃、病院へ入院するが5日間で無理やり退院。入院を勧めた私への恨みが激しく、主人の怒りや脅しを恐れる私は、思うように行動できませんでした。
 9~10月頃、一時期例会通いをするが、酒が止まっていない主人は精神的に苦しい例会通いだったようで、間もなく足を運はなくなりました。私1人でも行きたいと思っても、主人の機嫌が怖くてなかなか勇気がでませんでした。「お前が出かけたら俺は飲むよ」と言われて行くのをやめたこともあるし、「私は地元の断酒会だけは絶対に行く」と言ってケンカ腰で出かけたこともありました。心細い気持ちで行った例会場で、多くの励ましや希望をもらって少し元気になり、暗くなりがちな心の中に小さいけれど暖かい灯りがともったようでした。
 11月末、主人のお酒を止めるためにはもう一度専門病院へ入院するしかないと思い、主人の母や妹達と共に病院探しをはじめる(あの病院にはニ度と入らない、と主人が言ったため)。いくつか候補をあげるが主人は、「家族3人一緒じゃなければ入院しない」などといい、私も一時それを本気で考えてみますが、実現しませんでした。結局主人は、アルコールでの入院はしたくなかったのだと思います。
 そうしているうちに、主人の体が目に見えて悪くなっていき、本当にこのまま死んでしまうかもしれないと思いました。しかし、手を出してはいけないと教わっていたので、何をしてよいかわからず、主人が入院する気になってくれるのをじっと祈るような気持で待っていました。それはとてもっらい毎日でした。
 私は主人に生きて欲しかった。でも、まるで死に向かって走っていくような主人の飲み方は、私にどうしようもない焦りと不安とそして、怒りをもたらしました。私にはどうすることもできない主人のお酒に腹を立て、立ち上がろうとしない主人に憤り、自分の後ろめたい気持(主人を見殺しにしているような)から逃げたくて、主人を責めていました。また主人も、お酒が止まらない悔しさを私への激しい恨みにすり替えて攻撃してきましたので、夫婦喧嘩が絶えませんでした。
 家庭はいつも緊迫した空気に包まれ、表面上は普通に生活しているつもりでも、そこに安らぎなどありません。まして子供の心を思いやるゆとりなどなかったのです。「Dちゃんがいつも咳をしているのは、お父さんとお母さんが喧嘩ばかりしているからだよ」と主人の母に指摘されるまで、子供のサインに気づきませんでした。小児喘息と診断され、いろいろなアレルギーから起こると教わりましたが、一番の原因はやはり家庭環境だったようです。「お母さんが元気なのが一番大事です」と先生にいわれましたが、それはつまり私のせいで子供が病気になったということです。お酒に振り回される生活の中で、子供を守るどころか逆に傷つけて、その傷からも目をそらして、自分だけがつらい苦しいと主張していたのです。本当に情けない母親、最低の母親だと思います。
 主人に対しても、手を出さないといいながら完全に手を離すことがで
・・・


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