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医師会理事失格
04「アル昏」街道まっしぐら
医師会理事失格
酒場巡りひたすら
五十年四月、私は地元金沢区から推されて横浜市医師会の理事に就任した。一期二年の任期である。社団法人横浜市医師会として、理事の職は重責である。不幸なことに私は、その責任を充分に意識しているとは言い難かった。自己過信と過度の飲酒による独善性とが背景にあった。就任早々、理事の職務分担を決める会議に所用のためといって欠席した。その結果与えられたポストは、災害対策という閑職? であった。俺を馬鹿にしている、と私は受け取った。思い上がっていたのである。理事会は退屈でしかなかった。会議への欠席が目立つようになった。
この時期、偶然にも朝倉先生も理事であった。「お前、サボッてばかりいて駄目じゃないか。」「どうも、俺の性には合ってないんじゃないのかな。」「多分、そんなとこだろう。止めちゃえよ。」結論がでた。評判も悪かった。私は医師会発足以来最低の理事であったことは間違いない。
二年の任期は、私にとっては苦痛以外の何ものでもなかった。他の理事も私を相手にしてくれなかった。会議の最中、帰りにどこへ寄ろうかとばかり考えていた。その上、悪いことに市医師会館は、ちょうど曽遊の地野毛とは目と鼻の先にあったのである。
むさしやの親父は健在であった。キャデラックのママも、加賀のお内儀もみんな心地よく迎えてくれた。私には、この地この時間が唯一の安息の場であった。虚しさが徐々に私を酒の天国へ誘い込んでいった。時々家庭のことが胸をよ切ったが、酒の魔力には抗しがたかった。
黄金町の井筒屋詣でも復活した。マスターKと、S理容院の主、S君と私の三人は、以前からの酒友でもあった。私たちは示し合わせて、伊勢佐木町のバー・コパヘ、Sと私が先行する。後からKか店を抜け出して来る。それぞれに好きな娘がいて夜の更けるのを忘れた。
秋、九月、広島市で十大都市医師会協議会が開かれた。私もメンバーに加えてもらい広島の地を踏んだ。懐かしかった。私は広島大学で学位をいただいたのである。小川教授の恩師、かつて、広島大学で医学部長を勤められた西丸和義先生がおられた。また、私が学校保健に携わっていた頃、この地で全国学校保健大会が持たれ、名物の牡鱗鍋を突っつき銘酒「酔心」を味わった思い出がある。その広島の酒にまた会えた。こんな心掛けだから理事の資格はない。
学位記をいただきに伺った時西丸先生が言われた。「君はいける方だから、今夜は酔心にいらっしゃい。僕は不調法だからお相手はできないけれど。」以来、広島へ来ると酒場酔心には必ず寄ることにしている。その広島だ。
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