06「アル昏」クライマックス

再び出血生胃炎で入院

大量吐血
 恩師、小川義雄先生の逝去により禁酒を決意したのも束の間、先生の四十九日忌の席でそれはもろくも潰えた。その後、私はアルコール依存症の典型的な航跡をたどって行く。心の奥底に酒を止めたいという願望と、止めなければならないという意思は絶えずあったが、それ以上の何ものかが常にそれを打ち砕いた。肉体の、そして心情的なアルコールヘの欲求が遥かに上回っていたのである。飲みかたにそれが現れていた。一度に豪快には飲まず、絶えずだらしなく酒を求めずにはいられなくなっていたのである。ただわずかに、医業を継続しなければ生活に困窮するという現実が、辛くも防波堤となって破滅を防いでいたと言える。六十一年一月十四日、私は大量の吐血に襲われた。

 朝の診療開始早々、頑固な湿疹の小児患者が母親に連れられてきた。私は一目見て皮膚科の専門医に任せるべきだと判断した。幸に近くに後輩のS君がいる。紹介をしてあげよう。電話を掛けようとして、一瞬頭に閃いた。そうだ、説明を口実として連れて行けば、帰りに一杯やれるじゃないか。ちょっと送ってあげよう。少し話もあるから。
 S皮膚科医院からの帰途、百メートルばかり寄道をしてO酒店の自動販売機でワンカップ大関を一杯グッと呷った。そのまま家へ向って歩き出した時、不意に生温かいものが胸に込み上げロに溢れた。血だッ、反射的にそう悟って、私は道端の草むらに駆け寄りそこにバッと吐いた。紛れもなく、黒味を帯びた血であった。目分量で50cc位と推量した。ついにきたかと観念する一方で、大したことはあるまいと無理やり希望的楽観で、自分を納得させようと必死になっていた。続いてまた込み上げてきた。今度は下水溝へ吐いた。同じくらいの量であった。私は家まで約三百タートルの道々、繰り返し吐血しつつ歩いた。足元がやや乱れ、道筋の人々が気味悪そうに見送っていた。
 家へ着くと当然ながら、家中大騒ぎとなった。手伝いの好子さん、待っていた一、二の患者さん、そして妻、私はすぐ寝室へ横になった。血はいぜんとして止まらない。少量ではあるが間歇的に続いている。「幡谷先生をお呼びしましょう。」青くなって妻が言った。「まあ少し待てよ。彼だって、いま診療時間で忙しいんだ。午後に俺が電話をする。」私には吐いた血の色から推測して食道からの出血、つまり静脈瘤の破裂などではあるまい、との楽観があった。胃の入口の噴門部を境として上下では血の色が違う。酸の作用で胃の出血は黒味を帯びてくるのである。胃から下への出血、すなわち下血が黒く、タール便となるのもそのためである。
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