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- 「断酒生活」のすすめ, Ⅲ(00)
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M・S氏
Ⅲ(00)
M・S氏
気がつくと朝10時、お昼3時、仕事帰り、夕食前と飲み夜中まで。仕事も休み勝ち。今は会の皆様と断酒生活継続
おかけ様で断酒会にお世話になり、この12月で14年が過ぎようとしております。こんなに長く酒をやめられるなんて夢にも思いませんでした。皆様のおかげと、感謝の気持ちでいっぱいです。
飲んでいるときは1日としてやめることができず、365日毎日飲んでいました。45歳頃までは、どんなに飲んでも仕事を休むことなく、私は楽しい酒だったと思っています。 57年2月、母か脳溢血で倒れ6時間後亡くなりました。その頃は葬儀もきちんとできましたがその後朝酒を飲むようになり、朝酒を覚えてから、おかしくなったように思います。
私は大工ですので家で仕事をすることも多く、女房は仕事、子供は学校、1人で昼食です。食べる前に1杯いつの間にか飲むようになり、現場に出ても飲むようになりました。ワンカップ2つくらいでしたので、仕事もできたし何の抵抗もなく飲み続けました。そんな生活がどのくらい続いたか忘れましたが、気がつくと朝10時、お昼3時、仕事帰り、家に帰って夕食前、夜中まで飲むようになり、仕事も休みがちになり自分自身(アル中になった)ことに気がつきました。
酒をやめなくてはと思い、成田山や川崎大師に願をかけに行くのですが、2か月半やめたのが一度だけ。夜いくら飲んでもいいから1回だけ、夜中は飲んではだめと言われても、目が覚めると我慢ができず飲んでしまう。朝起きては飲んだ飲まないで喧嘩になる。夜が来るのが恐くて仕方がない。2時間ぐらいしか眠れない。目が覚めると飲みたくてどうにもならない。そろ一と立ち上がりお酒の置いてある勝手に行き、流しの下の扉を開け1升ビンをとってラッパ飲み。落ち着きをとりもどして蒲団にもどる。朝起きるとまた喧嘩です。「また飲んだな」「飲まねーよ」うそつきと言ってテーブルの上にどーんと置いて、「よく見な」見ると1升ビンに線が引いてある。酒は線より5、6センチ下の方だった。次の日からは飲んた分だけ水を入れ元にもどしました。
夜の話ばかりだが、いつものように勝手に行く、その夜に限って豆電球がついてない。暗いけど電気をつけると見つかると思い、手探りで流しの前に行き1升ビンを取り出しゴクンと飲んだ。なんだこれ、あわてて吐き出したが口の中がごちゃごちゃ、油を飲んだことにすぐ気がついた。うしろで、「何してんの、こんな夜中に電気もつけずに」振り返ると女房が笑っていた。「酒と油を取り替えたな」、怒鳴りつけ今度は居直って、堂々とコップについで飲んで蒲団に入る。こんなくたらないことをしながらも酒はやめることができませんでした。こんな生活が2、3年続いたでしょうか。
昭和61年11月1日、いつものように仕事を休み朝から飲みだしました。女房か仕事から帰って、4時半頃には外に出て、何軒かハシゴして家に帰るのは午前様。4日間ぐらい同じことを繰り返す。こそこそ仕事をしなくてはと頭では思うのですが、体が酒を要求してどうにもならない。いつもだと酒を切ってとはいっても、全然飲まないのではなく昼間と夜中はやめて、晩酌一度だけにすれば次の日から仕事に出られたのに、今日は切ることができない。フラフラで外に飲みに行くこともできない。200メートル離れた酒屋に行くのもやっと。飲みたい一心で酒だけは買いに行く。蒲団は敷きっぱなし、風呂に入らず、食い物はとらず、ただ飲むだけ。いつもなら怒る女房も知らん顔。飲んでは横になり、ウトウトと目が覚めては酒、そんなことが1週間くらい続いた12日の朝、私はトイレに行こうと立ち上がったその時、女房が酒臭い部屋に
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