ある朝


8西郊雑記

ある朝

ある朝
 北原白秋さんの昔の作で、とぎれとぎれに思い出す短歌がある。
 甲武線の朝の電車の何とか何とか、代々木柏木霜がれにけり。
 という歌なのであるが、その何とか何とかの一節がどうしても浮んでこない。古く白秋氏に師事した歌人の村野次郎氏に聞いても、白秋研究の木俣條さんに尋ねても一寸解らなかつた。してみると代表歌集には載らないで、あの頃の「ザムボワ」とか「地上巡礼」とかいう詩歌の雑誌で読んだだけの、三十五郎も前の記憶のままかもしれないが、不思議にその歌が気になるのである。
 今の中央線が甲武線と云つた頃、私は八王子に住んでいたので、東京へ出るには大てい汽車でまつすぐ新宿までくるか、国分寺で省線電車に乗替えるかであつた。がらんとした電車の中に明るい朝の日が射して、窓の外には杉の葉がつづき細い縞模様の日蔭が流れ込んでいた。のんびりと新聞をひろげている人や、あちらこちらで談笑している人の間をくぐつて、三角帽子にランドセルを背負つた小学生がかくれんぼをしながら、馳け廻つて騒ぎたてていた。
 あの広いホームの東中野駅が「柏木」と云つた頃は、うしろにつり堀のあるまだ踏切際の番小屋程の待合所に過ぎなかつた。あの土手ぎわを鉄道線路に沿つて少し行くと、私の画の先生のアトリエがあつた。土手の窪みが下つたところで、車内から「先生!」と声をかけると「オオ」と答える間に通り過ぎる距離であつた。
 しかし途中下車して訪ねると独り住いの先生は大てい留守が多かつた。小さいアトリエの鎧戸から中をのぞくと丁度、ゴッホの画宝の絵にあるような簡素な寝台があり、何枚かの油画が飾られて、絵具箱や白いカンバスが床に眺められた。入口のドアには小さい手帳と鉛筆がぶら下つていたので署名して帰つた。「幾日かして今度来る時はアトリエのカーテンのエ合を見て寄つてくれ」というハガキを貰つた。その後いつも電車の窓から気をつけて見るのだが、通過する時は窓が開いていたり、下車した時は不在だつたりして、仲々都合よく会えなかつた。ある日私は窓の開いているところをねらつて電車の中から水彩画の巻いたのを放りこんだことがあつた。先生は窓の日和で顔か何んか剃つていたところらしかつた。その頃私は画が出来る度にその批評を願つていたので、私の作品が先生の手元に届いたかどうか甚だ心配であつたが、二三日して便りが来た。空の色が青すぎろとか、山のデッサンが曲つているとか、兎も角画の批評の返事でホッとして喜んだ。それからは東京への往きか帰りか、アトリエの窓を見て、時々作品の筒をなげ入れたわけであつた。先生からは時々批評のハガキが来た。
 そのうちいつ通つても窓が開いていない日が多く、閉つたままのアトリエの窓を電車の中で眺めながら、私は順調に進行しない通信教授を嘆いた次第であつた。
 それから幾月か忘れるともなくすごしたが、ある朝突然K先生の黒枠のハガキが来て愕然とした。葬儀は夏の真盛りであつたが、どなたかが読んだ弔詞の中に
「ロマンチストK君は砲弾のように飛んで行つてしまつた」
 と涙ぐんで朗読された声が耳の中を急行列車のように走りぬけたような気がして、私は夢遊病者のようにぽつとなつた。あの思い出のアトリエもその後幾代か代り、大家の邸に取囲まれたり、戦災で燎野原になつたが、やがて又バラック建に埋つてしまつた。
 今日このごろ冬枯れの武蔵野の景色を、通勤電車の混み合う肩と肩との間から眺めると、あの北原白秋氏の思い出せない短歌の一節と共に、K先生のアトリエの窓が目に浮んでくるのであつた。



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