かすてら
1長崎
かすてら
唐人屋敷
昔、顔遠山という支那人がおつて、丸山の菅ノ絵という遊女に深くなり小太郎という子供が生れた。長崎から本国へのかえりに船が難破して溺死したことがあつた。その報せを知つて菅ノ絵は病みついて死んでしまつた。
又長崎の金持で中村嘉右衛門、森安という人があった。人々は俗に金のナカ村、雨の森安など、蔭口を聞いたが、取引先の支那人が溺死した報せを聞いて、長年取引していたはかない縁に自ら施主になり、支那人の供養をした位牌が今崇福寺に残つているとのことである。長崎に伝わる日華親善の話しには古く深いものがあるそうであつた。