彌撤の鐘


1長崎

彌撤の鐘

お蝶夫人の家
 天主堂の石畳みの坂を半丁程ゆくと長崎巻を見下す丘の上に、お蝶夫人の邸跡と伝えられる古風な洋館があつた。歌劇「バタフライ」の桜と富士山の見える長崎の舞台面が、この家にあたるわけである。艮い袂の蝶々夫人と白服のピンカートンが、晴れた日の港を眺めで歌う丘がここの庭園になることになる。よく手入れのゆき届いた庭園には、珍らしい南国の夏の花々が咲き乱れていた。八角型の平家建の木造洋館には、低い軒に竹籠を編んだ様な木造のアーチが、柱ごとについていた。天井も全部その木造の網の目で覆われ、その八角型のお堂風な恰好が、洋風な夢殿とでも名づけたい程の建物で、これこそ明治の異国情緒をたたえる典型的な家だろうと私は思つた。
 それはその環境の風物と共に実に好きであつた。

 私は長崎の洋風建物のあの古い木造洋館には殊に心が惹かれた。雨風に洗われた柱や、鎧戸や天井の、色ペンキの腿せたり破れたりした、どこかにもろい、もう寿命を越したような、金属とも木材とも見分けのつかぬ程の疲れたあれらの素朴な地肌に慕わしい愛情か湧いた。
 ここの石の露台には、唐草模様の鉄のべンチがあつて、そこに腰をおろすと、対岸の山々や遠く沖へゆく船の数々が煙をあけて、花々の叢の先に震んで見えた。

 私はその後ここで油絵の制作をする筈であつたところ、急に映画のロケーションの一行が来てしまい、早くも撮影をやり出したのには閉口した。
 ある日、修繕中の天主堂の石段に一休みして眺めていると、撮影隊は、ベニヤ板に切り抜いた模型の天主堂を、トラックから降してお蝶夫人の邸へ、二人程でかつぎ上げるところであつた。あの海の見える庭の、どこに建てられるのか。見物人はぞろぞろとあとを追いかけて、坂道をのぼつて行つた。

外人墓地
 いつか東京から清水崑さんが来た時、土地の渡辺庫輔さんの案内で、対岸の稲佐の外人墓地を一緒に見に行つた。
 暑い日で原子爆弾で破壊された十字架の墓石が、漸く人手が入つて整理されたところであつた。
 丘の石垣の十字架の墓石には大きい本がのつて、ひろげられたまま、よく飛ばないものだと遠くで思つて見ていた。
 昨夜の雨にぬれても無事だつたのかと不思議に思い乍ら、近寄つてその白い頁をなでると、その本たけが白く厚い大理石で出来ていて、開いたところの活字が一宇一字鮮明に黒く刻まれていたのには、一寸驚かされた。墓地には大さい蘇鉄が整然と美しい葉先をひろげて、白い雲の浮く南国の青空に輝いていた。


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