樟の若葉

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1長崎

樟の若葉

阿蘭陀まんざい
 五月の若葉に雨がしとしと降つていた。
 私は一度行きたいと思つた長崎へつれて来て貰つて、知人の二階の窓から長崎の町の屋根を眺めていた。
 東京で考えると原子爆弾で吹き飛んでしまつたと思える程の気持さえしたのに、繁華街にはスズラン燈が灯つて通りは明るく賑つていた。
 私は、そのお祭の余興に開催されるというオランダ万才の稽古を見せて貰つた。
 それは長崎の山手につづく石畳を上つたところにある、「一カ」という大きな料亭の大広間で始まるのであるが、ここの家が我国洋画壇の大先輩であり、明治・大正・昭和に亙つて多くの優れた風景画を残された故山本森之助氏の実家だとの事であつた。
 私は、そこの玄関でも階段の壁にも曾て見覚えのある、克明にして親しみのある風景画の大幅を見て、まつたく豫期しない喜びに驚いた。
 オランダ万才というのは、去る昭和九年、長綺博覧会にさいして出来た新作舞踊だとのことであるが、その後十何年振りかで今度久しぶりで再び上演されるとのことで、当時の若い踊手がいいおばあさんの師匠役で、新しい花柳何々という若い人々を指導していた。私が行つたときは唐児人形のようななりをした、ヒラヒラ袖をひるがえした七八歳から十二三歳ぐらいの子が、大ぜい列んで、たくみな手ぶりをそろえて踊つていた。
 私は、それを眺めながらしきりに鉛筆で写していると、すぐうしろのほうで衣ずれのようなかすかな音がして、どこかほんのわずかな香料のような匂いが漂つて来た様な気がした。しばらくして何の気もなく私は耳元の蝿でも払うつもりで振りむくと、ぱつとオレンジ色の光りが射した様で、服披の赤い色彩が、まぶしく生き生きとして浮上り、目に強くしみて来た。丁度ピエロのような扮装で横に坐つており、その細長い白粉の顔の画頬に、赤い丸が目立つて塗つてあつた。仲々艶かしく美しい表情の中に、陽気な衣裳によくつり合ういい顔であつた。
 つい吸いこまれるように眺めていると、またそのうしろに水いろの長い袖をつけた若い踊手が一人、黒いつばのある帽子をかぶつて、黄ろい大きな扇をかざし乍らつつたつていた。こちらはもつと知的な近代的な顔かもしれない。青と緑の衣裳に、白い顔がきわ立つて、オランダさんの顔である。ピエロ風のは赤と黒の徳利型の縞ズボン。ひげの方は緑と黒の同じ徳利型の縞ズボンで、昔のオランダ風俗を日本の万才と才蔵に仕立てた南蠻踊りであつた。
 これは和洋入り交つた伴奏の音楽が賑やかで、二人で踊りまわるのであるが異国情緒豊かな抑揚のある楽しいものであつた。二三日して私はこれを当地の名ばかりの宝塚劇場のまた畳の敷いてある古い見物席に坐つて背景や照明を用いた大仕掛のを見たが仲々面白かつた。
 あんなものを本場の宝塚あたりでレビューに生かしたらさぞいいだろうにと思つた。然し、これは又長崎の港町でみるから尚一層興が深いのかもしれなかつた。尚「一カ」という家では、あとで山本森之助氏の学生頃の漫画エハガキを沢山見せて貰つた。山本氏を初め中沢弘光氏、岡野栄氏、其他の方々の明治四十年前後頃のエハガキ全盛時代のなつかしい記念品であつた。「肉筆エハガキ」などという言葉は今日恐らく通用しないであろうが、少年時代の「博覧会」とか「共進会」とかいう当時の新式言葉が魅カだつた時代の、今から四十年も昔のああいう「肉筆エハガキ」の通信文を、何百枚とアルバムに差してあるのを、長崎に来て今更目の前に見るのは、まことに不思議な感慨であつた。
 人力車に荷物をのせて後ろからランプをさげてついてゆく書生さんの引越風景、写生旅行の明治画学生のハイカラ風俗であつた。
 そのアルバムの古風なビロードの手触りや、菊や桜花や日の丸のお菓子のような図案でさえ既に遠い遠い日本の美術の生目の濃やかな、あこがれごころの夢なのであつた。
 翌日、古川町の菊本で今度は新しく油画でオランダ万才を写生することができた。

大浦天主堂
 私は毎日石畳の坂道を上つて丘の精神病院へ写生に行つた。大浦の天主堂はそこの途中にあつた。ザビエル四百年祭がすぎると杉の葉でつつまれた表門のアーチの装飾が取れて、石段が高く高く、白い会堂の尖塔の先に金の十字架が光つていた。大理石のマリヤの像の処まで上つてくると、長崎の港の一部が古い木造洋館の屋根の上に見渡せた。煙を上げていろいろの鉛がゆききしているのも珍らしかつた。

 会堂の扉を押すとすぐ中に入れた。礼拝堂の上のステンドグラスが破れてそこから青空が見えた。晴れた、まつ青な南国の空である。いちめん灰色の天井の中に秩序正しい無数の弧線が美しい幾何学的の模様となつて、窓には色ガラスの格子がとても美しかつた。初夏の陽射しがその色ガラスに射して、まるで幻燈のように床の上に鮮やかな色彩を映していた。菱形の色ガラスの生々しい原色が、周囲のリズム的な天井の半円型の連続模様と組あわさつて、丁度岡本太郎さんのあの燃えるような色彩の画を思い出させたのであつた。
 夕方ともなれば、どこからともなく、ぞろぞろと老若男女が集つて来て、胸に十字を切つて礼拝をしていた。


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