両国国枝館の思い出

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6東京

両国国枝館の思い出

両国国技館の思い出
 お正月につきものの大相撲―その大相撲が両国国枝館で再び開催されることになり、私は招待状を貰つたので千秋楽の日見物に行つた。戦災を受けたあの国技館は丸屋根の大鉄傘が残つて終戦後米軍の接収により改装されたわけであつた。戦時中は小石川後楽園のスタンドで本場所開催中度々の空襲警報で日延になつたことを私は疎開先の新聞で知つた様な気がする。終戦後初めて高架線の電車の窓から見る秋晴れの江東地帯は、隅田川の青々とした水に、焼野原と焼残りが交々入りまじつた中に白堊の丸屋根が目立つて、おなじみの櫓太鼓が川風にはずんでいた。
 両国駅から国技館へ出る電車通りの片側に小屋掛の食物屋が列んでいた。おでん屋、焼鳥屋、肉うどん、支那そばに鰯、サンマ等鉄板で焼いている店。丁度午飯時で焼ける油の匂いがこの狭い道をゆく人にプーンと匂う。
 屋台の前をのぞくと、たいてい持参の弁当を開けておかずに焼きたての魚などを食べている。

 場内へ入ると以前古倉庫のようなまつくろに汚れた階段や壁際はすつかり白ぬりになつて、丸天井の内がわまで洗つた様に明るく一変してしまつたのには一寸面くらつた。
 私共年一度か二度たまに来てまず見上げるあの大天井の優勝額のまん中の燈りの一束は美しい思い出の深いものだつた。それは今から十年も前、ここの相撲協会の彦山さんからの御厚意で招待して貰つてから、毎年春と夏の本場所を見物出来たからだつた。私が初めて見た国技館風景は今も忘れ得ないものであつたが、まだ双葉山が新人としてさつそうと登場して来た時代で、丁度八日目まで猛牛と綽名のある鏡岩との八勝同点の顔合せで、天下分け日の決勝戦だつたようだつた。満場ごうごうと大浪のようにうなる場内に天井まで鈴なりにつづく小学生の東西力士の声援合戦の中、パッと花のように開く天井の光りの満艦飾。豆電燈の洪水の中に一層場内の群衆の意気は生彩を放つて高潮し、初めパッと一番高い中心部の一角に燈がつき、次は又大きい一周りが明るくついてひろがり、最後は下の部分の一周りが全部灯が入つて、たちまちの中に全館光りの浪に覆われてしまつた。それは三段階に寄せてくる燈火の浪のようなもので、観衆はバッと灯る燈大の列に関の声をあげ、又パッとつく次の燈火の列に関の声をあげながら力闘は一層熱狂のうずを増すばかりであつた。勝負は遂にきまつて古豪鏡岩の悲痛な面上にかすかな暗い影が射し、それは若き双葉山の運命を決する絶好のチャンスを握る一戦となつたわけであつた。
 この日初めての優勝額は翌年も亦一枚ふえて、遂に二十六歳の青年横綱の名を謳われる黄金時代を現出したロ火だつた。あの丸天井の半円をずらりとつつむ双葉山の優勝額を、私共はいつも豆電球のイルミネーションの間から見上げるのであつた。
 私は又それから千秋楽の翌日双葉山引退相撲というのを矢張り同じ国技館で見せて貰った。それはその日羽黒山、照国、安芸の海と双葉山の現在の四横綱の土俵入が、四回もつづけて一息に見せられたことであつたが、最後の双葉山の時には羽黒山の太刀持ちと照国の露払いとで三人の横綱の化粧まわしをつけた豪華版の土俵入りであつた。私は土俵の最前端のところで見上げていたが、拡大鏡で眺めるような堂々たる肉塊の丘がゆれ動き、全表情が浮彫となつて強い男性的感激に打たれたのであつた。
 続いて紋附袴に服装を改めた双葉山が土俵に現れると、今度は厳粛な断髪式というのが行われた。賀陽宮殿下を初め縁故ある人々が次々に立つて、静坐した双葉山の黒々とした力士髷に一人づつ鋏を入れたが、ついに最後の鋏で白紙に双葉山の小さい力士髷がポツンとそこへ落ちた。しんとした鉄傘下に何の声もなく、私は土俵の真下にいた為、目の前でそれを眺めて一瞬はつと胸を打たれた。まるで首でもころげ落ちたような気もちがしたのであつた。
 私の見た十年の聞にとびとびに知る双葉山の姿は、丁度目次と奥附だけの本をばらばらとめくるような中身の空白な手ざわりのような思いで、人に押され押されまひるの場外へ出てしまつた。


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